飛鳥  その3−4
 竜福寺の層塔(竹野王碑)

 また、旧道へ戻って、集落の中を南へ辿ると、左側の崖の上に浄土宗鎮西派の末寺、天徳山「竜福寺」があります。境内の北側に元は五重層塔と見られる石塔があり、現在は下から三重目と四重目の軸部のみが残り、屋根には下り棟の形の浅い造り出しを持ち、屋根裏にも傾斜を付け、上の軸部に対し下の屋根の軸部受にも造り出しがある等、かなり手の込んだ作品です。初層軸部の4面に「天平勝宝三年(751年)歳次辛卯四月二十四日丙子、従二位竹野王」と判読された文字が刻まれています。もし、それに誤りがなければ、我が国に現存する層塔としては、最古のものと考えられ、竹野王は長屋王家木簡にもその名がありました。
 南渕請安の墓

 なお、飛鳥川の上流稲渕は、南淵漢人請案(みなみぶちノあやひとしょうあん)が居住した地で、彼は、608年(推古天皇16年)9月11日大使(おおつかい)小野妹子、小使(そいつかい)吉士雄成(きしノおなり)、粟田真人、そして、通事の鞍作福利らに従い、遣唐使学問僧として中国へ派遣され、在唐32年、640年(舒明天皇12年)帰国して、飛鳥から通って来る中大兄皇子(後の天智天皇)と、中臣鎌足(後の藤原鎌足)らに「周孔の学」、すなわち、「儒教」を教えました。彼の没年は不明ですが、墓は「竜福寺」から南へ1丁行った丘の上にあり、1662年(寛文2年)と大正11年建立の碑が建っています。
 飛鳥川上坐宇須多岐比賣命神社

 「南渕請安墓」から下りて、また、旧道を南へ辿ると、県道15号線に合流し、「飛鳥川」に沿って南へ向うと、関西大学飛鳥文化研究所を過ぎて、左手の石段158段上がった宮(みや)山に延喜式内社「飛鳥川上坐宇須多岐比賣命(あすかノかわかみにいますうすたきひめノみこと)神社」が鎮座し、本殿は中間が遥拝造で、後方の山を拝します。祭神は飛鳥坐神社の裔(えい)神である宇須多岐比賣命、神功皇后、応神天皇。なお、稲渕は、642年(皇極天皇元年)8月天皇が雨乞いをした南淵の川上で、北方に「南淵山」があり、また、近世は当社を「宇佐宮」「宇佐八幡」と称して、雨乞いの「なもで踊」をやっていました。



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