葛城山および葛城古道  その7

 「葛城一言主神社」の大鳥居

 なお、地元で「一言神(いちごんじ)さん」と呼ぶ「葛城一言主神社」へは、804年(延暦23年)に最澄が入唐安全祈願で参拝し、850年(嘉祥3年)10月正三位を授けられ、905年(延喜5年)制定の延喜式で名神大社に列せられ、1360年(延文5年)北朝4代目後光厳天皇から「正一位」を賜りましたが、一言主大神は顔が不細工だったので、醜い男の代表として、「葛城の神」と清少納言が「枕草子」に書き、1688年(元禄元年)3月松尾芭蕉45歳も訪れて「笈(おい)の小文(こぶみ)」に句を残し、

 猶(なお)みたし花に明行く神の顔
 片上醤油(TEL 0745-66-0033)

また、「葛城一言主神社」の小さな杉並木の参道を真っ直ぐ東へ進み、県道30号・御所香芝線のガード下をくぐり、「葛城一言主神社」の大きな鳥居の建つ所で石段を2段下りて、上の部分が吹っ飛んでいる石灯籠の方へ右(南)に曲がると、大和名物30選にも選ばれた、天然醸造の「片上醤油」さんのお宅です。通常の土・日はお休みですが、写真の様に葛城古道を歩かれるハイキング客の多い時は、時々開けておられますから良かったら皆さんも一度お立ち寄り下さい。その後、「葛城古道」を片上醤油さんから南へ進んで葛城山の水越峠へ向かう東西の道、国道309号線と交差し、信号を見てそのまま真っ直ぐ南へ進みます。
 御所市名柄(ながら)の「長柄神社」本殿

 次の四つ角がバス停の「名柄」で、つかれていたらここから御所駅行のバスが有ります。また、北東角に浄土宗「龍門寺」の鐘楼と本堂の大きな屋根が白壁越しに見え、その東隣が「長柄神社(姫之宮)」です。本殿は県文化、禅宗様の一間社春日造。祭神は、下照姫(したてるひめ)命。日本書紀によると、680年(天武9年)9月9日第40代天武天皇が境内で流鏑馬(やぶさめ)をしました。また、「龍門寺」の四つ角から西へ行くと、小綺麗な名柄郵便局があり、その西側の池の堤防上に石碑「名柄遺跡」が建っていて、そこから大正7年5月5日に銅鐸(どうたく)と、細線鋸歯文鏡(さいせんきょしもん)が出土しました。
 名柄(ながら)銅鐸出土遺跡

 銅鐸(どうたく)は、池の工事をした際、南の堤に近いところで、地下約60cmの地層から偶然に鏡が出土し、それより30cm程南方から、開かれた口の方を東にして横になった状態で出土しました。なお、池は現在埋められて更地になっています。また、鏡は双紐細線鋸歯文鏡(そうちゅうさいせんきょしもん)と呼ばれる古式の物で、他の漢式鏡の様に強い反りがなく、面が水平な銅鏡で出土例が数少なく、銅鐸は、小形ですが、流水紋とケサダスキ紋を鋳出し、文様を両面に分けて配した特色のある手法で造られ、鏡と銅鐸が同時に出土した例も少なく、弥生式文化究明の貴重な資料として、今は国立東京博物館に保存中です。




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